プログラマーを育てる・・・か。いつの間にかそうなるもんだと思う

広告

 プログラミングが小学校で義務教育化する方向にある現在、プログラミングを学ぶ意味や、あり方を改めて考える時期にきているのかもしれません。プログラミング言語「Viscuit」開発者の原田康徳さんと、サイボウズのイクメン社長、青野慶久さんによる対談の前編では、子どものプログラミング教育や現在の課題について伺いました。

 

プログラマーを育てたいならプログラム以外のことをさせよ――Viscuit開発者 原田ハカセ×サイボウズ 青野社長のプログラミング教育論|CodeZine×サイボウズ式から引用


プログラムって、学ぶわけでも教えて貰うわけでもなく、楽しむところから入らないと身につかないんですよね。
そりゃ仕事なら覚えるでしょうし、覚えないとしょうがないのですが、小学生に強要するものじゃない。

私自身、小さい頃にBasicから入ったわけですが、やらされたわけでもなく、Basicマガジンに載っている通りに入力するとゲームが出来る。
そのゲームがやりたいがために、一生懸命入力してエラーが出て、Syntax Errorなら単純な入力間違い。一生懸命どの場所がエラーになっているのかBasicマガジンと見比べて探して直して。
それ以外のエラーならお手上げだったので、父親が直してくれるのを見て、どうやってるのかを見て、見よう見まねでやってみて、やっぱりダメで。。。
でもいつか動くようになって、その動いた時がものすごく嬉しくて。

結局ゲームをやりたいという気持ちから入ったのに、いつか最終的な到達点は「動くことがうれしい」 になって。
だから一つ動いたら、ゲームはそこそこに、次のゲームを打ち込んで。その繰り返し。 

そのうち、ただ入力してただけなのに、どうやったら色が変わるとか、if文とかgoto文とか何をやってるのかがなんとなく分かるようになって、いつの間にか、七色に色を変えるにはどうやったら出来るかとか試していたりして、いつの間にか身につくようになってたり。
アルゴリズムなんて言葉は知らなくても、どうやったらどう動くのかを理解してたり。

プログラムなんて、そんなもんですよ。

かしこまって、席に座って、話を聞いて、言われた通りに動かす。
動きましたね。覚えましたね。

これじゃ、嬉しいとか楽しいが無いとは言わないまでも少ないですよね。
その場限りで終わっちゃいます。
だって周りにはもっと興味が沸くような楽しいものがいっぱいあるわけですから。
すぐに忘れちゃって当然ですよね。
あんなものやこんなものが作れる!という次に繋がる発想にならないですよね。

まずは楽しんで興味を持つところから入らないと。
自分で考えたことがその通りに動いて「動くことが嬉しい」を知らない間に体験できるViscuitはプログラムの入り口としては有りですよね。

まずは動いた。
そうしたら次は、これをこうやって動かしたら面白いとか、こっちに動いたら何かが出てくるとか。自由な発想で、その通りにプログラムが動く。
最高ですよね。

そうやって楽しんでやっていかなければ人なんて育たないですよね。
他にたくさんやりたいことがあって、それをできる環境も諸外国よりも多いわけですから、興味を持たないことを強要したってしょうがない。

興味を持てば、どうやって動いているのかとか調べたり知りたくなるわけで、そうしたらプログラムをちゃんと基礎から教える。
どうせやるなら、そういったプロセスの方が良いと思うんですよね。

まぁ色んな方法があると思うし、個人的な意見ですよ。